親子三代続く京都の老舗レコード店「クレモナ」

WRITER
白波瀬達也

■店主、寺井正雄さんの音楽遍歴

レコード店で働く父親のもとで育った現店主の寺井正雄さんは、幼少期から音楽に触れる機会が多かった。とはいえ、特別早熟な音楽経験をしているわけではないという。

「小さい時は家にレコードがあって、いつでも聴ける環境。おもちゃ代わりでした。小学生の頃はザ・ベストテン(邦楽のヒット曲を扱うテレビ番組)に興味を持っていましたね。中学に入るとコンポを買ってもらって、姉の所有するレコードを通じて洋楽の良さを始めて知りました。自宅には父が中古店を始めるために用意したレコードの倉庫があって、そこからビリー・ジョエルやクイーンを抜いて聴いていました。この頃から僕もお金を貯めてレコードを買うようになりました。当時、自分は勉強ができなくて、中学校の先生から『このままじゃ高校に進学できないぞ』と脅されていました(笑)。そこで大学生の家庭教師に来てもらうようになったのですが、そのお兄さんが僕のレコードに反応するんです。『正雄くん、ポリスのシンクロニシティ、持っているんや。これ聴きたいから貸してや』って。そんなこんなで家庭教師のお兄さんの良いリアクションが欲しくってレコード買っていましたね(笑)。 」

高校になってもジャンルで音楽を聴くようなことはなく、マドンナやシンディ・ローパーなど洋楽のヒット曲を中心に聴いていた。当時ハマっていたのはミュージックビデオを流すテレビ番組「ミュージックトマトJAPAN」。放送の翌日の高校では「昨日見たけ?」「あれ良かったねえ」などと語り合う日常。小遣いの大半はレコードに消えていった。

■レコード稼業の継承と挫折

正雄さんは大学に入ると週に1〜2回、クレモナでアルバイトをするようになった。家業を継ぐように言われたことはなかったが、父の敏博さんがそれを望んでいることは薄々感じていた。「今ほど音楽好きでもなかった」と語る正雄さんだが、就職活動を一度もすることなく大学卒業後、クレモナに就職。父、敏博さんはそれを喜んだ。

「バブル期までは良かったんですが、バブル崩壊後はだんだん、経営的に厳しくなり、当時、雇っていた京極店の店長が辞めることになったんです。そこから父が京極店を直接仕切るようになり、僕が修学院店を任されたんです。その時はまだ26歳〜27歳でしたね。修学院店は町のレコード店という感じで、CDを中心に洋楽からJPOPまで幅広く扱っていました。一方、父はこだわりがある人間だったから、CDが普及した後も京極店でアナログレコードを中心に扱っていました。」

この頃はどんどん店の売り上げが悪化していたが、仕事自体は楽しかった。バイトの店員と「次の新譜どんな感じの作品だろうか」、「何枚ぐらい仕入れようか」と過去の売り上げデータを見ながら試行錯誤する日々は充実したものだった。だが、こうした生活は長く続かなかった。数年後には体調を崩し、店長を任されていた修学院店は2000年頃にやむなく閉店。ちょうどCDの売り上げが急速に下降線をたどるようになる頃の出来事だ。

正雄さんは1年間ほどの療養を経て、体調を改善させたものの「この時代にレコード店で生計を立てることは難しい」と判断し、サラリーマンになった。その後、クレモナ京極店だけが残ったが、2009年に敏博さんが高齢になったことを理由に閉店。半世紀以上にわたって京都のレコード文化を支えてきたクレモナは、惜しまれながら姿を消すことになった。

閉店間際のクレモナ京極店

■サラリーマン時代に湧き上がった音楽愛

レコード稼業から離れた正雄さんは、生活のために慣れないサラリーマンを続けた。しかし、あまり肌に合う仕事ではなかった。逆にこの頃、音楽に対する欲求は猛烈に強くなった。友人の影響でアンビエントやクラブミュージックにハマっていったのは意外にも30代なかばを過ぎてからだった。

「はじめは名盤とされるKLFの『チルアウト』を聴かしてもらったんですけど、なんとも思わへんかったな(笑)。でもマッシヴ・アタックの『プロテクション』、これはめっちゃかっこいいと思ってどっぷりはまりました。この頃は一ヶ月に10枚〜20枚のCDを買って聴くようになっていて、家にいるときは完全に音楽漬けでした。その後、『チルアウト』の良さにも気付くようになったんやけど(笑)」

正雄さんは同時期、クラブミュージックのルーツとなるジャズにも魅了されるようになった。レコード店を経営している時より、はるかに音楽に対して貪欲だったのは、仕事に深い悩みを抱えていたサラリーマン時代だった。

「サラリーマンをしている頃、僕がクレモナで働いていた時の夢をよく見たんです。目覚めると気分が良いんですね。もういっぺんレコード店で仕事ができたらなあって思ってね。でもね、何回も同じような夢を見るようになると、気分が良いという感じでは済まなくなってきて、思いが溢れてくるというか。当時、自転車で通勤していたんですが、毎日の行き帰りは、レコード店をやりたいという思いが頭をぐるぐる駆け回っていました。」

一度諦めたレコード稼業。先行きが安定していないことはわかりきっていた。そんな思いとは裏腹に気持ちは先走っており、開業に向けてレコードを揃え始めていた。そして、正雄さんはついに会社を辞めて、レコード店の再開を決心したが、その時に一番心に引っかかったのは父、敏博さんのことだった。

「父が店を辞める時に継がずに、今になって僕がレコード店を始めるのはどうなんだろうという思いがあって、なかなか言い出せなくて。で、ある時に意を決して父に相談したんですけど、反対はしなかったですね。『相当厳しいぞ』とは言われましたけど。それからは父を巻き込んで開店準備をしました。」

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白波瀬 達也(社会学者 / フィールドワーカー)

白波瀬 達也(社会学者 / フィールドワーカー)
都市問題・地方文化に関心を持つ社会学者。主著『貧困と地域 あいりん地区から見る高齢化と孤立死』(2017年、中央公論新社)。大学時代は音楽研究部部長。「三度の飯よりレコード掘り」が信条。ジャズ、ソウル、ラテン、レゲエ、ヒップホップ、ハウス、アンビエントなどを好む。日頃は研究活動に従事しつつ、不定期で大阪や奈良でアナログレコードにこだわった音楽パーティを開催している。
http://collective-music.com
http://kunimikojicla6.tumblr.com

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