気骨のあるレコードとサムシングに出会える場「MOLE MUSIC」

WRITER
白波瀬達也

大阪の繁華街から少し離れたところに位置する地下鉄谷町六丁目駅界隈は、都市的でありながらゆったりとした時間が流れる職住近接の場所として近年人気を集めている。このエリアの一角に位置する上町に一際異彩を放つレコード店「MOLE MUSIC」がある。DJとしてキャリアを積んできた店主が運営するこの店は音楽好きにとって、わざわざ足を運ぶべき特別な場所となっている。


周囲の街並みに溶け込みつつ、何かがあると思わせる外観

■ 音楽に目覚めたサッカー少年

 MOLE MUSICの店主、中村光貴さん(1982年生まれ / DJ名義はMITSUKI)は大阪の下町、大正区で生を受け、奈良県の平群町で育った。記憶に残っている最初の誕生日プレゼントはC-C-Bの「Romanticが止まらない」(1985年)の7インチレコード。光貴さんが幼稚園に通っていた時のことだ。小学校の頃はサッカーに打ち込み、奈良県の代表メンバーに選ばれるほどの実力だったが、中学校に入ると音楽にのめり込むようになった。

「田舎の子だったので、勉強するか、スポーツするか、帰宅部するか、ヤンキーするか。そんな選択肢しかなかったですね。とりあえず全部やってみました(笑)。自宅周辺には音楽が買える場所がなかったんですけど、30分ぐらい自転車を走らせたところに王寺という町があって、そこでCDを買っていましたね。」

 当時、光貴さんは今も大好きなビートルズやボブ・ディランといった大御所の諸作品を入り口にしながら、徐々に先鋭的な音楽にも触手を伸ばすようになった。高校生になると愛好していたロックミュージシャンたちが影響を受けてきたジャズやソウルにも興味を持つようになり、光貴さんのレンジはどんどん拡張していった。


多様なジャンルを取り扱うが、特に「ふるさと」の棚が面白い

■ クラブカルチャーの「洗礼」

 高校生になると同級生に音楽の趣味が合う仲間もでき、一緒に楽しむことを覚えた。早熟な光貴さんはクラブに足を運ぶようになり、そこでダンスミュージックの洗礼を受けた。

「梅田にあるDAWN(現在のNOON)が僕のクラブカルチャーの原体験ですね。ジャンルを問わず、色々なパーティに顔を出していたら店の人にも可愛がってもらうようになって。同じ頃、心斎橋・アメリカ村にあったDMR、CISCO、JELLY BEAN RECORDSなんかで現行のレコードを買っていました。旧譜は人類レコード、マルかバツ、FOREVER RECORDSなどで手当たりしだい掘っていました。1990年代の後半はドイツのレーベルCOMPOSTのFUTURE SOUND OF JAZZというコンピレーション・シリーズに代表されるようにハウス、テクノ、IDM、ブレイクビーツ、ドラムンベース、ポストロックなどが成熟していき、相互作用で新しい音楽が生まれていく面白い時代でしたね。知識は未熟でしたが、前衛的に聴こえました。」

 光貴さんがダンスミュージックとクラブカルチャーに託す思いは楽曲の面白さからだけではない。メインストリームとは異なる価値を提示するアンダーグラウンドやクラブという空間に特別な意義を感じていたのだ。それは光貴さんの「家族の歴史」とも深く結びついている。

「あることがきっかけで、弟が話す力を失いました」

 身が引き裂かれる出来事を契機に光貴さんは障害者運動や反差別運動にも関心をもつようになった。結局自身の性格から深入りすることはなかったが、この経験が音楽との向き合い方に大きな変化を与えることになった。
「血族の何かが失われた分、自分が表現したいという思いに駆られたんだと思います。僕にとっての『カウンターカルチャー元年』です。自分のなかの闘争的な部分が見え隠れするようになって、より先鋭的な音楽を求めるようになりました。僕個人の思いはハウスミュージックを手段としたDeeperamaにあらわれていると思います。」


光貴さんがDJ SPRINKLES(TERRE THAEMLITZ)とおこなっているパーティ「Deeperama」。フライヤ/ ポスターは画家、服田雄介の制作

■ 憧れのレコード店員となった大学時代

 光貴さんは京都の大学に進学すると、すぐにDJとしてレコードを回すようになった。最初は地元・奈良の「ロボット」というBARで仲間たちとDJパーティを開催していた。しかし同店の閉業に伴い、奈良の仲間とフリースペースでのDIYパーティを続けながら、ゆかりのあったDAWNで仲間たちと「FUTURE CLASSIC」というパーティを始めた。当時、光貴さんは19歳と若く、十分な収入もなかったが、深夜のクラブ空間へのこだわりは人一倍強かった。

「みんなでリスクを負いながらクラブでパーティをすることってすごく大事だと思うんです。コンセプチャルな考えや精神性がないとパーティは具現化できないタイプなので。 」

 大学生となり、自由な時間ができた光貴さんはどっぷりと音楽の世界にのめり込むようになった。そんな折、心斎橋・アメリカ村で新譜のダンスミュージックを扱う屈指の名店、NEWTONE RECORDSの店員として働く機会を得た。同店ではバイヤーを任されるなど、大学生でありながら運営に深く関与するようになった。レコード店で働くことは光貴さんのたっての希望でもあったため、大学卒業後もNEWTONE RECORDSで働き続けた。


MOLE MUSICが扱うハウスのレコードは質・量ともに他店を圧倒している

■ レコード店員として生きることの迷い

 NEWTONE RECORDSではOMAR-S率いるFXHE RECORDSやJUS-ED率いるUNDERGROUND QUALITYといった海外のインディペンデント・レーベルのレコードを他店に先駆けて積極的に入荷し、その独自の審美眼はダンスミュージックの好事家たちの信頼を得るようになった。光貴さんはバイヤーとして最先端の音楽を届ける役割にやりがいを感じていたが、仕事を続けていくなかで自分の内なる感覚との間にズレを覚えるようにもなった。

「ずっと新しい情報を追いかけているのではなく、自分の生活に合わせたレコード針の落とし方をしたいと思うようになったんです。ある時から音楽が聴こえなくなるというか、以前のように感動する心がなくなってしまって、2009年にレコード店を辞めてDJもしばらくやらなくなったんです」

 バーンアウト(燃え尽き症候群)のような体験をした光貴さんは、その後、安定した暮らしを求めて会社員となるが、社長とそりが合わず3ヶ月で退職。自分のレコード店を持ちたいという夢を抱きつつも、それで生計を成り立たせるイメージを持つことは困難だった。揺れる想いを抱きながら光貴さんは公務員になるために勉強を始め、無事試験に合格。しかし、いざ市役所で働くことが現実的になると「どこか自分の生き方にそぐわない」と感じて就職を辞退してしまった。


盟友HANKYOVAINの作品が収録された「JUST IN TIME EP」 / TRESURE BOX RECORDS)」を手に持つ光貴さん

■ MOLE MUSIC開業の転機となった東日本大震災

 「個」と「社会」の間で揺れていた時、光貴さんはその後の人生を決する大きな出来事に向き合った。それが2011年3月に起きた東日本大震災だ。当時、光貴さんはレコード店をオープンさせるための資金を少しずつ貯めていたが、居ても立っても居られず被災地に赴いた。

「震災があった年の夏に仙台に向かったんです。関西でもいろんな運動が立ち上がっていました。僕は現地に行って直接行動するしかないと。そこで見たものは言葉にならないぐらい壮絶なものでした。特に印象的だったのはボランティアセンターに来ていた現地の子どもたちの未来に向かっている姿です。」

 光貴さんが被災地に行っていた期間はそう長くない。だが、この経験がトリガーとなり、開業に向けた思いが一層高まった。ちょうどその頃、裏なんばの「味園ビル」の店舗の空き情報が舞い込んだ。光貴さんは「やるしかない」と意を決し、2011年末にMOLE MUSICを開業した。
 光貴さんはDJとしてのキャリアを活かし、現在と過去のハウスをシミュレーショニズムで等価に扱うような店づくりを意識した。また、クラブミュージックと呼ばれる音楽だけでなく、ソウル、ジャズ、ロック、日本の古い音楽など、これまで自身のアンテナに引っかかってきたものも扱うようにした。


新譜の多くは直接やりとりのあるアーティスト / レーベルだ

■ 店舗の移転と新たな仕掛け

 MOLE MUSICの開業から約3年間はnaminohana records(現在は梅田界隈に移転)と一つの店舗をシェアしていたが、2014年により広いスペースを求めて谷町六丁目駅近くの上町に移転した。音楽好きが多く集まる裏なんばの盛り場から住宅地としての性格が強いエリアに移ったことの意図を光貴さんは次のように語る。

「やっぱり僕は情報と程よい距離感をとりたいと思うタイプなんだと実感したんです。土地によって時間の流れ方、スピード感って異なるじゃないですか。 新しい店では長く気持ちよく過ごせる居場所を作ろうと思ったんです。」

 新店舗では広くなったスペースを活かして、つながりのあるミュージシャンのインストアライブをおこなったり、音楽に影響を与えてくれる画家の個展をおこなったりと様々な試みを始めた。また、高円寺のレコード店「円盤」の店主、田口史人さんの「レコード寄席」(昭和の暮らしの傍らにあった、あまりにも当たり前にあって忘れられてしまったレコードを聞いてみようというイベント)を定期的に開催するなど、ダンスミュージックと暮らしの音楽を等価に音楽史として紹介できるイベントに積極的だ。新店舗は近隣に住宅エリアがあることから、従来とは異なるタイプの客が増え、レコード棚も少しずつ変化しているという。


親交のある高円寺のレコード店「円盤」にちなんだ諸作品も取り扱っている

「特定の共通言語を持つ人だけが集まるレコード店というより、交通は自由であったほうがいいなあと。これまで深くつながってきた人たちはもちろん大事な仲間です。それに加えて、近所のおっちゃんであったり、最近レコードプレーヤーを買ったという人が店に来てくれるのはすごく嬉しいです。」

 最近、光貴さんはMOLE MUSICを拠点にROKOTSUNA MUSICという自主制作プロジェクトを仲間たちと進めている。「新聞、映像作品、MIX CDなど色々取り組んでいるのですが、ときに感情的で創作的、ときに何やってるんだろう感に包まれています」と笑うが、「思いが続く限りはやっていきたい」という。このようにMOLE MUSICはレコード店でありながら、それ以外のサムシングが充実しており、多様な人々の交差点になっている。


Tシャツをはじめ、DIYな制作物が店中に溢れている)

追記

「来歴込みのインタビューは正直苦手なのですが、長年関わりのある社会学者の白波瀬達也さんからのお誘いということで頑張りました。2回に分けて取材していただきましたが、両日共にポンコツの僕は二日酔い。そして、このインタビュー記事がアップロードされた何ヵ月か後には、この場所はなく、ここには誰もいません。それまでは上町で楽しんでいますので、是非遊びに来てください。この場所を支えてくださった方々、本当にありがとうございます。またきっとどこかで、きっと何かを企てます。詳細は現場で。」(MOLE MUSIC店主:中村光貴)


MOLE MUSICではOMAR-Sの名前が刻印される製氷器が人気商品だ

■ 取材後記:MOLE MUSICの発掘品


LARRY HEARD / SCENERIES NOT SONGS, VOLUME ONE(1994 / BLACK MARKET INTERNATIONAL)

筆者はMOLE MUSICでハウスの面白さ・奥深さを学び、優に100枚を超すレコードを購入してきたが、なかでも印象的なのがラリー・ハードのファーストアルバム。フロアでも自宅でも聴く者を恍惚の世界へと誘う屈指の名盤。なおアートワークはプラスチックスやメロンのメンバーとして知られる中西俊夫によるもの。

MOLE MUSIC
〒540-0005 大阪市中央区上町1-25-22上二ハイツ 1F 東側
OPEN 14:00頃〜22:00頃
HP http://mole-music.com

白波瀬 達也(社会学者 / フィールドワーカー)

白波瀬 達也(社会学者 / フィールドワーカー)
都市問題・地方文化に関心を持つ社会学者。主著『貧困と地域 あいりん地区から見る高齢化と孤立死』(2017年、中央公論新社)。大学時代は音楽研究部部長。「三度の飯よりレコード掘り」が信条。ジャズ、ソウル、ラテン、レゲエ、ヒップホップ、ハウス、アンビエントなどを好む。日頃は研究活動に従事しつつ、不定期で大阪や奈良でアナログレコードにこだわった音楽パーティを開催している。
http://collective-music.com
http://kunimikojicla6.tumblr.com

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