Jake One (Tuxedo) タキシードの結成からメイヤー・ホーソーンとの出会いまで

WRITER
バルーチャ・ハシム

ワシントン州シアトル出身のジェイク・ワンはタキシードのメンバーとして知られているが、50セントなどのG-ユニット関連作品や、デ・ラ・ソウルのプロデュースなどで2000年代に名を上げたヒップホップ・プロデューサーでもある。今につながるトラックメイキングへの道を選んだ経緯や、メイヤー・ホーソーンとの出会い、さらにヒップホップ・プロデューサーとしてのキャリアについて多くを語ってもらった。最後に、影響を受けたレコードも数枚紹介してもらった。

タキシード結成前のジェイク・ワンはどのようなキャリアを過ごしたのか

――音楽にのめり込んだきっかけを教えて下さい。
 7、8歳の頃にヒップホップと出会ってハマったんだ。隣の住人がDJをやっていて、よく窓からヒップホップのレコードを流してたんだ。その時に流行ってるアルバムをプレイして、そこで初めて聴いたレコードが多かった。タキシードでやってる音楽は、その時代に聴いた音楽に影響されてる。子供の頃に初めてハマる音楽っていうのは、ずっと自分にとってスペシャルなものなんだよ。グランドマスター・フラッシュの「It’s Nasty」、ランDMCのファースト、それにキャメオやギャップ・バンドのようなファンク・バンドも当時聴いて好きになったんだ。そこから徐々にヒップホップにのめり込んでいったんだ。俺が好きだった90年代のヒップホップがサンプルから作られていることを知って、レコードを掘ることに興味を持つようになった。そこからサンプラーを買って、自分でビートを作るようになり、友達とラップしてみたりしたけど、ステージでラップしたことはなかったし、あまりステージに立とうと思わなかった。それに自分は白人だし、当時は白人のラッパーはいなかったから、なろうと思わなかったんだよ。昔からDJ、プロデューサーになりたかった。

――当時、シアトルには大きなヒップホップ・シーンはあったのでしょうか?
俺の仲間はみんなヒップホップが好きだったけど、おそらくその辺りだけだったよ。ヒップホップのラジオ局はなかったけど、日曜日に2時間だけヒップホップをプレイするFresh Tracksという番組があって、そこで新曲を聴くことができたんだ。

――当時影響されたヒップホップのレコードは?
スクラッチにすごく興味を持つきっかけになったアルバムは、ランDMCのファーストだね。「Jam Master Jay」と「Hard Times」の2曲が大好きで、それを聴いた時は衝撃を受けたね。後にNWAが登場してそれで衝撃も受けたし、ドクター・ドレーが手がけたD.O.C.、イージーE、『Straight Outta Compton』、アバヴ・ザ・ローなどのアルバムも好きだった。ビッグ・ダディ・ケイン、ラキムなんかも好きだった。レコードを掘るきっかけになったのは、ピート・ロック&CLスムースの『Mecca and the Soul Brother』だね。ピート・ロックのプロダクションは、それまで聴いたヒップホップと全く違ったんだ。それにダイヤモンドDのファースト、ショウビズ&AGの『Runaway Slave』なども聴いて、ジャズのレコードを掘ったり、父親のレコード・コレクションからサン・ラ、チャールズ・ミンガスのレコードを見つけるようになった。運良く、俺の父親は音楽のセンスが良かったんだよ(笑)。

――レコードは主にシアトルで掘ってたんですか?
 そうだね。子供の頃は、レコードで新譜がまだリリースされていたから、レコードは買い慣れていたよ。80年代のレコードは子供の頃から買っていて、初めて自分の金で買ったレコードは、リック・ジェームスの『Street Songs』だった。同時期にグランドマスター・フラッシュの『The Message』とか、ファットボーイズとかも買ったね。聴いたことがないレコードを真剣にディギングするようになったのは、91年。ジェームス・ブラウンの『Funky People』を聴いた時に、すべてが変わった。Xクランのインタビューを読んで、彼らがロイ・エアーズをサンプリングしていることを知って、ロイ・エアーズを掘るようにもなった。いろいろな音楽を発見できた時期だったから、すごく刺激的だったよ。レコード店でグローヴァー・ワシントン・ジュニアの『Mister Magic』を試聴して、衝撃を受けたのも覚えてる。そこからどんどんレコードを集めることにのめり込んでいったね。DJプレミアが何をサンプリングしたかを知るようになって、レコードのどの部分をサンプリングしたか自分なりに考えるようになった。

タキシードが再現するモダン・ファンク、ブギーサウンド

――タキシードでやってるようなモダン・ファンク、ブギーのサウンドは、リアルタイムで80年代から集めていたということでしょうか?
 意識して買っていたというより、当時そのサウンドが流行っていたんだよ。当時は7、8歳だったけど、リアルタイムでキャメオの『Cameosis』を聴いていたし、Solarレーベルのレコードも知ってた。もちろんSolarの中でも、ポピュラーなレコードだけどね。ヒップノティックの「Are You Lonely?」とかリロイ・バージェスは知らなかったけど、みんなが聴いていたプリンス、ザ・タイム、リック・ジェームス、コン・ファンク・シャンなんかは聴いていた。2000年代初頭から、俺はまたこの時代の音楽を熱心に聴くようになった。70年代のジャズやファンクにちょっと飽きてきて、オブスキュアな80年代のレコードを探すようになったんだ。ザップの『Computer Love』、『More Bounce』は当時から覚えていたけど、ザップの全曲は知らなかったから、他のレコードも買うようになったんだ。当時のレコードコレクターはまだファンクの7インチとかクール&ザ・ギャングっぽいレコードを集めていて、それはそれで悪くないんだけど、誰もブギー・ファンクを探してなかった。

――そうなんですね。
あと、DJの話なんだけど、18歳の時にハウスパーティーでDJをする時に、ドナルド・バードをプレイしたりして、パーティーが盛り上がらなかった時があった。自分がかっこいいと思う曲をプレイしたいから、その時、DJが向いていないと思った。そこから、ビート作りに専念するようになったんだ。ビートや曲を作ると永遠に残るけど、DJプレイはその晩に消えてしまう。DJは今もやってるけど、自分が聴きたくない音楽はプレイしたくない(笑)。

――シアトルはヒップホップの街ではないですが、どうやってそこからプロデューサーとして注目されるようになったのでしょうか?
 18か19歳の時に俺の師匠的な存在でもあるDJシュープリームと出会ったんだ。彼は世界でトップのレコードコレクターでもあって、レーベルを運営していた。彼と一緒にレコードを買うようになって、いろいろなことを教えてくれたよ。彼のレーベルのラッパーのためにビートを作るようになって、それが俺の最初のリリースになったんだ。98年〜99年くらいにそれが終わって、シアトルにとどまっていては成功できないと思って、他の都市のもっと有名なラッパーとも仕事をしたいと思うようになった。その後に、あるヒップホップ・コンベンションに参加して、そこでマネージャーと出会って、いろいろな仕事が入るようになった。彼はLAが拠点で、俺のビートをいろいろなアーティストに売り込んでくれた。その時は普通の仕事をやりながらビート作りをやっていて、2006年まで仕事を続けてたよ。結構有名なアーティストの曲をいくつか手がけて、お金も入ってきたけど、まだ自分が信じられなくて、仕事が止められなかったんだ。12年経った今もこうやって活動できてるから感謝してるよ。


Jake One at Vision 2017 by Jun Yokoyama

――裁判所で働いていたんですよね?
そうなんだ。裁判所では、書類整理の仕事をやっていて、仕事しながらずっとヘッドホンで音楽を聴いていて、仕事が終わると家でひたすらビートを作っていた。裁判所で働いてる時に、ラッパーからよく電話がかかってきたりして(笑)、バスタ・ライムズ、E40から電話がかかってくると、別の部屋に行って、話したりしないといけなかった。プロデューサーとしてお金が入ってきて、「数年間普通の仕事しなくても大丈夫だろう」という状態になって、仕事を辞めたんだ。仕事を辞めた翌年に相棒のメイヤー・ホーソーンと出会った、2006年だったね。

――有名なラッパーにも数々のトラックを提供していますが、一番思い出深い曲は?
俺のキャリアは2部に分かれてるんだ。裁判所の仕事を辞めてから、デ・ラ・ソウル、ジョン・シナのテーマ・ソングを手がけたり、50セントに楽曲を提供した時期があった。そのあとに、2010〜11年からドレイク、Jコール、ワレ、リック・ロスなど色々なラッパーを手がけて、そっちの時代の方が知られてると思う。一番気に入ってる曲の一つは、リック・ロスの「Three Kings」だね。

――50セントのGユニットに一時期所属してましたよね?
彼らのマネージャーのシャー・マネーが俺のマネージャーでもあったから、Gユニットのアーティストは大体俺が最初にトラックを提供することができたんだ。数年間はGユニット関連の作品に必ず1〜2曲は提供していた。Gユニットの『Beg For Mercy』、50セント『Curtis』、映画のサントラ、ヤング・バックのアルバムにもトラックを提供したし、彼らのミックステープには10曲〜15曲くらいは提供したと思う。当時流行っているサウンドと違うことに挑戦していたから、面白かったよ。

――自分にとってヒーローと仕事ができたと思った瞬間は?
ドクター・ドレーと契約した時は信じられなかったね。ビートを作り始めた時から彼を尊敬していたから光栄だったよ。2008年くらいに彼と契約を結んで、いろいろな楽曲を提供したけど、その中でリリースされたのは1〜2曲だった。E40の大ファンだったから、彼に呼ばれてスタジオで曲を作った時は驚いたね。金曜日に仕事場で病欠をして、サクラメントに飛んで一緒に作業した。2003年くらいだったかな。

タキシード誕生秘話へ

Jake One

Jake One
50セントなどG-ユニット関連作品やデ・ラ・ソウルのプロデュースで2000年代に名を上げたヒップホップ・プロデューサー。2008年ソロ名義でのアルバム『White Ban Music』をリリースし、高く評価され、カリフォルニアを中心に活動するシンガー・ソングライター/プロデューサーのメイヤー・ホ-ソーンとタキシードを結成。2006年からコラボレーションが始まり、シックやシャラマー、ザップあたりを彷彿とさせるディスコ/ブギー・サウンドを制作。2014年に『Tuxedo』でアルバム・デビュー。日本でもロングセラーを記録、来日公演も盛況を博す。2017年に2作目『II』をリリース。

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