AFRAインタビュー

WRITER
Hiroyuki Ichinoki

日本のヒューマンビートボックスのパイオニア的存在として、近年はビートボックス・イヴェントのオーガナイズ、ワークショップの開催に加えDJなどにも活動を広げるAFRA。彼に、人生を変えた3枚のアルバムと音楽遍歴、そして近作の『OHAYO』や今後に向けた思いなどを聞いた。

――音楽遍歴のそもそもの始まりを教えてください。
ホントの最初はお兄ちゃんお姉ちゃんの影響で小2とかで聴いたブルーハーツかな。その後、家でかかってたボン・ジョヴィとかポイズンで洋楽を初めて意識したと同時に、ブラックミュージックはプリンスの「Batdance」のPVにやられて、『バットマン』のサントラを買ったのがたぶん最初。そのあたりで『ダンス甲子園』が流行って、兄貴がそういうウェーブを家ん中に持ちこんで(笑)。

1989年、大阪の近鉄阿倍野ビルの前で。少年時代のAFRA

――ヒップホップを知ったのも『ダンス甲子園』からと。
でも初めて買ったラップのCDはギャングスタ―の『Step In The Arena』ですね。そこでラップが好きになって、中学時代は真似事で歌詞書いたりラップしたり。

――じゃあヒップホップにハマるのも早かった?
当時情報がなかったんですけど、夏休みで関東に来た時に、下北沢の海賊盤のビデオショップに当時流行ってたジャズラップとかが入ってるVHSを送ってもらって、ずっと観てました。その影響はすごく大きいし、一番感化された時期ですね。

――ヒューマンビートボックスをやろうと思った動機もその頃にあったんですか?
いとこが’89年ぐらいからN.Y.に移住して、そのツテで高校2年の夏に初めてN.Y.に行くんですよ。トライブ(・コールド・クエスト)がちょうど『Beats,Rhymes And Life』を出した年(’96年)で、セントラルパークでフリーコンサートやるっていうので観に行ったら、トライブがキャンセルでザ・ルーツが代わりに出るってなってて、それ観た日にビートボックスやるって決めて(笑)。

1996年のルーツのライブ。NYのセントラルパークにて。

1996年、ニューヨークにてDigable PlanetsのMVに映っていたStooz Recordsの前で撮影

――そうなんですね。それまでに人前でライヴをした経験は?
高校の先輩と組んで文化祭の後夜祭でラップしたのが初めて人前でやったライヴでしたね。で、高校卒業を機に韻シストと出会ったんですよ。それで大阪で一緒にライヴやるようになって、やっと外に広がって。ターンテーブルとラップっていうのもカッコいいけど、生(バンド)でやるっていうのは当時日本でそんなになかったし、ビートボックスだから自然と一緒に出来たんですよね。

――ではAFRAさんの「人生を変えた3枚」をお聞きしたいのですが。

『Juice』O.S.T.

N.Y.に住んでるいとこから「カッコいい映画がある」って聞いてて、このジャケットのTシャツを送ってもらったんですよ。それをボロボロになるまで着てました。映画がこっちに来た時には、天王寺のはずれの小っちゃい映画館に親父と一緒に観に行きましたね。

映画として最高でVHSも持ってましたし、当時買ったパンフレットに、「〈Juice〉にはリスペクトっていう意味がある」みたいに書いてあって、「なんで?」って(笑)。

サントラを買ったのは映画を観る前だったと思いますけど、エリック・B&ラキムの「Juice(Know The Ledge)」はイントロからしびれましたし、他の曲もめちゃめちゃ聴いてて、僕にとっては懐メロみたいな感じ。

今だったらこういう話はNetflixとかのドキュメンタリーでどこでも観れるみたいな世界だけど、銃社会の話で日本では作れない映画だし、ゲトーの若い連中にとってヒップホップは密接なものっていうリアリティとエネルギーが詰まった映画だと思います。

A Tribe Called Quest『Low End Theory』

さっき言った下北のビデオ屋さんが作ってくれたVHSに(本作収録の)「Jazz(We’ve Got)」と「Buggin’ Out」を繋げたPVが入ってたんですよ。それを見てたのと、クラッシュ・ポッセがテレビ神奈川でやってた『Yo!DJ』っていう番組が京都テレビの深夜枠で流れて。それをお姉ちゃんが録画してて、ムロさんがクラッシュさんと「チャブ・ロック日本に呼びたいよねー」とか「ロード・フィネスがいい」みたいな話をしてるのを、どれが誰かもわからへんまま小6ぐらいで見てたんですけど(笑)、その番組のエンディングも「Jazz〜」やったんですよ。その前にも『remix』って雑誌のジャズラップ特集でこれが紹介されてたから、聴いた時に5センチぐらい飛びましたね、「うわーこの曲!」みたいな(笑)。

ウッドベースとヒップホップですごいシンプルなのに深いというか、アルバムのタイトル通り〈低音論〉みたいな、僕にとってはヒップホップの金字塔。アルバムとしてもオールタイムベスト的な一枚ですね。なんかのトライブのインタビューを見た時に、Qティップがこのアルバム作る前にNWAのアルバム聴いて脳が散らばったって表現してたんですけど、それでこれを作ったっていうふうに言ってて、西の影響はこういうとこにもあるんだなって思ったり、ジャズ・ベーシストのロン・カーターが入ってたり、今あんまりない「Scenario」のようなポッセカットも大好きで、ここにしかないよさがあるし、今のトラップのクリアな音色とは鳴りも違いますよね。

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AFRA

AFRA
1996年にN.Y.セントラルパークで見たThe RootsのビートボクサーRahzelのパフォーマンスに衝撃を受け独学でビートボックスを始める。高校卒業後N.Y.へ単身渡米、映画「Scratch」出演や、唯一の日本人として出演したビートボックス・ドキュメンタリー映画「Breath Control」などにも出演。2003年、日本人初のヒューマン・ビートボックスアルバムとなる「Always Fresh Rhythm Attack!!!」をリリース。スペイン「SONAR 2005、2006」、オーストラリア「BIG DAY OUT 2006」,ノルウェー「numusic2006」ほか世界各地の音楽フェスティバルに出演するほか、FUJI XEROX のテレビCMや、adidas Originals 09SS 全世界キャンペーンCMなどにも出演している。

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By Hiroyuki Ichinoki
Photos by Daisuke Urano

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