吉岡正晴のヴァイナル・サーチン 第三回~ファンキー・ビューロー 『ブギー・トレイン』

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吉岡正晴

このところ、すっかり人気が再燃しているヴァイナル・レコード。新譜でも、配信、CDとともに、限定ながらヴァイナル・ディスクが発売されることも多くなった。このコラムの過去2回は、ヴァイナル・レコードのウォント・リスト上位にあった山下達郎作品を2枚選んだが、今回は下のほうにあった和製ディスコ、ファンキー・ビューローのアルバムをご紹介しよう。

 

国産ディスコ

 このファンキー・ビューローの『ブギー・トレイン』は1977年3月に日本のビクター音産から発売されたアルバムだ。今では、「和製ディスコ」の草分けなどとも呼ばれ、「ブギー・ウォーク」、「クラップ・ユア・ハンド」、「ディスコ・ジャック」などのヒットとともに親しまれている。ヴァイナルのアルバムだけでなく、CD化され、さらにリミックス・ヴァージョンなども登場し、発売後40年を経ても、その人気は衰えない。

 このファンキー・ビューローはリリース当時は事情を知る人以外、誰も日本製とは思わなかった。海外のディスコ・レコードだと感じた。それは、実際リード・シンガーがジャマイカ生まれのブラックのシンガーだったことにもよる。

このファンキー・ビューローの登場には、その前年、1976年にリリースされたオリエンタル・エクスプレスの「セクシー・バス・ストップ」が大ヒットしたことが背景にある。
 オリエンタル・エクスプレスを実質的にプロデュースしたのが当時ビクター音産の宣伝マンだったハッスル本多氏だ。そして本多氏がオリエンタル・エクスプレスの成功で自信を持ち、よりファンキーなディスコ作品を作ろうとしたのがこのファンキー・ビューローだった。

 

新宿のハコ・バンド

 毎晩新宿、六本木など都内にディスコに足を運んでいたハッスル本多さんのもとにとある音楽出版社から新宿のナイトクラブのライヴ・バンド(いわゆる毎日入ってヒット曲を演奏するハコ・バンド)で仕事をしているミュージシャンで作曲・編曲の才能がある人物がいるので聞いて欲しいと声がかかった。そのデモ・テープを聴くと、本多氏はぴんときた。

 「曲としてのまとまりや踊り易さだけでなく、ファンキーな中によいメロディーが含まれており、一発で気に入りました」(本多氏)。
 そのデモ・テープを作っていたのが新宿の「ビバ・ハウス」というディスコで毎日演奏していたソウルバンド、ソウル・メイツのメンバーでベース奏者の巣瀬哲夫さんだった。ちなみにこの「ビバ・ハウス」は音楽ライヴのほかにお笑いの芸人なども合間に出し物をやっていて、そこから有名になっていった芸人もいるという。

本多氏はその巣瀬氏の曲、アレンジで、ファンキー系のダンス曲を作ることにした。巣瀬氏は新宿の「ビバ・ハウス」の狭い楽屋でライヴの合間に曲や歌詞を作った。

 巣瀬さんが参加していたソウル・メイツは、ちょっとした人気バンドで、バンド活動が忙しかった。「ビバ・ハウス」だけでなく、米軍キャンプや赤坂の老舗ディスコ「ムゲン」などでもプレイしていた本格的なソウル・バンドだった。まさにアメリカのソウルにどっぷりの日々を過ごしていたので、メンバーは当然ブラック・フィーリングのグルーヴを体で覚えていた。

しかし、巣瀬氏はその頃バンド仕事がとにかく忙しかったので、実際のスタジオでレコーディングに付き合う暇がなかった。そこで本多氏は優秀なスタジオ・ミュージシャンを集めレコーディングを行なった。

こうしてとりあえずトラック(カラオケ)は出来るが、これを歌うファンキーなシンガーがなかなか見当たらなかった。

 

シンガーを探して

 いろいろと当たっているうちに本多氏の知り合いのモデルの旦那さんの歌がすごいという噂を聞きつけオーディションをしたところ、そのパワーとパンチに度肝を抜かれ採用することにした。そのモデルとは、ニューヨークから来て雑誌「アンアン」やファッション業界で活躍していたマーサ・カーという人で、その旦那さんがジャマイカ生まれシカゴ育ちというミッチェル(愛称ミッチー)・ブラックマンだった。彼は教会などで歌ったことはあったが、それで生計を立てているプロのシンガーではなかった。それでも、来日するたびに時間を取ってもらいレコーディングするうちに、迫力ある歌唱も磨きがかかっていった。

 彼はジャマイカ出身ということもあってか、アメリカ本土のブラック・シンガーとは一味違い弾けるようなパンチのある歌唱を聴かせ、よい味をだしてくれた。

 こうして完成し第一弾シングルとなった「ブギー・ウォーク」のアレンジには萩田光雄氏がクレジットされている。

 

1位

「ブギー・ウォーク」は1976年7月1日、ビクターからリリース。シングル盤(7インチ=17センチ・ドーナツ盤)のB面にはインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録され、ディスコDJはこれを2枚使いうまくミックスしていた。

 このシングル「ブギー・ウォーク」はそののりのよさもあり、さらに「セクシー・バス・ストップ」で全国を回り大ヒットさせた実績もあり、本多氏が大々的にディスコにプロモーションをかけ、瞬く間にディスコで大ヒット。全国ディスコ協会が集計するディスコ・チャートでも1位になった。

 1976年9月に行われた「全日本ラテン・ハッスル・コンテスト」では、ダンス・チーム、ネッシー・ギャング・スペシャルとこのファンキー・ビューローのリード・シンガー、ミッチー・ブラックマンが共演している。

 さらに第2弾シングル「ディスコ・ジャック」が1976年9月25日リリース。これもすぐにヒット。まもなくアルバム制作が企画され、同年いっぱいをかけてアルバムがレコーディングされた。

 本多氏は個人的には「ブギー・ウォーク」が一番好きだそうだ。また、シングル盤は3曲リリースされたが、一番売れたのは第3弾シングル「クラップ・ユア・ハンド・トゥゲザー」。これらの作品は巣瀬さんの編曲を基にしている。

 巣瀬さんはその後、ビルボード・ディスコ・チャートで1981年もベスト10入りするミッドナイト・パワーズの「ダンス・イッツ・マイ・ライフ」のアレンジ、さらにコマ(KOMA)というグループの「さよなら(Sayonara)」というディスコ曲のアレンジ/リード・ヴォーカルも担当している。

 オリエンタル・エクスプレスはどちらかというと「新宿ディスコ」的なサウンド/曲調だったが、このファンキー・ビューローはそれと対照的な「六本木ディスコ」で支持されるファンキーなディスコ・サウンドだった。

 シングルのヒットを背景に、アルバム制作が決まったが、本多氏は洋楽的な音作りが得意だった萩田光雄氏(1946年生まれ)、水谷公夫氏(1947年生まれ)、舟山基紀氏(1951年生まれ)といったアレンジャーを起用。引き続き、巣瀬氏に楽曲作りを依頼、彼はライヴ仕事の合間にこれらの曲を書いた。巣瀬氏によるとこのファンキー・ビューローに入った曲はすべて「ビバ・ハウス」の控え室で書いた、という。

 こうして出来上がったのがファンキー・ビューローのアルバムだった。

 

アルバム登場

 本アルバムは1977年3月5日にアナログ盤、30センチLPでリリースされたが、その後1990年代に入り、テレビ『とんねるずのソウルとんねるず』で使用されたりして、人気が再燃。1992年9月23日、「ブギー・ウォーク」(ラジオ・エディット)と「インストゥルメンタル」ヴァージョン、同じく「ディスコ・ジャック」(ラジオ・エディット)と「インストゥルメンタル」が加えられ、CDアルバムとしてリリースされた。

 ところで、作者クレジットはMagic-T.Suse と表記されていたが、「マジック」はリード・ヴォーカル、ミッチー・ブラックマンのことを指す。ミッチーが作詞でいくつか手伝ったために、Magicの変名でクレジットされた。Magic-T.Suseは、ミッチーと巣瀬、二人の共作という意味だ。

 また海外でも評価が高く、ヤフオク、他のオークションなどでも一時期高値が付いた。
アナログ・アルバムには7分余のロング・ヴァージョンが収められ、シングル・ヴァージョンと違うものになっている。シングル・リリース後、同じマルチ・マスターにリリコーンなどの音が加えられ、さらにトラック・ダウンもやり直された。

 3枚目のシングルとなった「クラップ・ユア・ハンズ・トゥゲザー」のアレンジは舟山基紀氏。これはいまだに人気のあるダンス・クラシックとなった。

「ネッシー・ギャング」は、ソウル・イラストレイターとして大活躍中(今でも現役)の江守藹氏が組んでいたダンス・ユニット、ネッシー・ギャングのテーマ曲として制作されたもの。このアレンジは水谷公夫氏。

いずれも巣瀬哲夫氏が楽曲を作った時点でベーシックなアレンジもしていた。

アレンジャーの舟山、水谷、萩田各氏は現在でも音楽業界で現役として大活躍中。また、「クラップ・ユア・ハンズ・トゥゲザー」の作詞作曲も担当した巣瀬氏は現在タイのバンコックに本拠を移し、同地でCM制作、ロケーション・コーディネートなどの会社を経営している。

最近ディスコ・リミックス、プロデュースなどで売れっ子のT.Groove (Tグルーヴ)も未発売ながら、トーク・イヴェント「ソウル・サーチン・ラウンジ」用にリミックスを制作、同イヴェントで公開した。40年を超えてもなお、ダンス・フロアで人気の楽曲群を含む和製ディスコの最高傑作アルバムと言えるだろう。

吉岡正晴
音楽ジャーナリスト/DJ。ソウル、ブラック、ダンス・ミュージックを得意とする。ソウル・ミュージックの情報サイト、『ソウル・サーチン』ウェブ https://ameblo.jp/soulsearchin/と同名イヴェントを運営。1975年以来、レコード、CDなどに添付されるライナーノーツは1,300枚以上執筆。その他、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなどの番組出演も。著作に『ソウル・サーチン』、翻訳書に『マイケル・ジャクソン全記録1958-2009』、『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』、『レイ・チャールズ物語』、『モータウンわが愛と夢』など。毎月第一木曜ミュージックバード制作全国のコミュニティーFM、インターネットなどで放送中の『ザ・ナイト』内「ナイト・サーチン」生放送中。毎月第3水曜日、新宿カブキラウンジで毎回おもしろい音楽業界のゲストを招いてソウル・バーでの雑談のようなものを聞かせるトーク&DJ「ソウル・サーチン・ラウンジ」主催中。詳細は、https://ameblo.jp/soulsearchin/
また日々の最新情報発信は、ツイッター、https://twitter.com/soulsearcher216

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