若杉 実の名盤アンチ所〜第3回 漆黒のサウダージ

WRITER
若杉 実

ブラジル人が北米音楽をどこまで異文化として受け入れているのか。要諦をそこに定めると、ある仕事でブラジルまで飛び、“ブラック・リオ・ムーヴメント”(70年代リオを中心としたブラジル版ブラックパワー)の現場バイレ(パーティ)の実態を当事者から引きだそうとした。相手はシーンの中核バンダ・ブラック・リオのジョージョアォン(歌&キーボード)。ところが彼の説明を受けるなり、こちらが想定していた絵と噛みあわず、古典サンバへの反動という幻想はあえなく一瞬で消える。いわく「バイレのバンドたちはサンバの中でファンクを確立し、ファンクの中でサンバを蘇生させたことにおおきな誇りをもっていた」

当時のわたしは詰めが甘かった。ジョージョアォンは第二期メンバーとしてグループに参加するが、その契機となった1978年のセカンドアルバム『Gafieira Universal』(“ガフィエイラ”=ダンスホール。近年“サンバ・ヂ・ガフィエイラ”の名のもとに社交サンバを意味する)その題に照らしあわせれば、おのずと答えは出ていただろう。

この事実を胸に、帰国してからのわたしはブラジリアンファンクへの探求をいったん中断、代わりに北米ブラック側に視点を移し、その先端にサウダージをとらえることにこころを砕く。これにより北米ブラックにとっての異文化という課題を得る。

ただし、こういう類は反射的に避けた。一例として、シックの「Sao Paulo」、サンバ・ソウルやザ・ブラザーズといった一連のやつ。「愛でブラジル」(アルティミット)など横っ面を張ってといわんばかりだが、そういうお茶を濁すようなものではなく、すでに濁ったもの。ブルースの泉に沈殿する濁水を研磨剤に、北米ブラックの魂を磨きあげることで獲得した視点からソウルを読み、そこで胸に刻まれた望郷の念こそ至上とした。対し、“ブラック・サウダージ”と好き勝手に呼んでみる。すると、条件にかなう“ブラジルの美しき旋律”=「Una Bella Melodia Braziliania」が浮上、メイン・イングレディエントのデビューアルバム『L.T.D.』(1970年)におさめられていることを知る。

のちにソロで活躍するトニー・シルヴェスターが在籍していたコーラスグループ。ニューヨーク・ハーレムで結成された彼らがブラジルのこころを紡ぐ、という違和感をここで見逃すわけにはいかない。だが、最初こそ耳につくものだったかもしれないその違和感は、再生をくりかえすことでなるほど、彼らの世界観においてある一体感をなしていることに気づく。コパカバーナかイパネマか、白砂舞う爽風が黒ダイヤ然とした歌を静かに運ぶようだが、アルバムの基調低音にある豊潤なメロディの一部であるのは疑いようがない。

1996年には、そんな彼らにふさわしいタイトルのベスト盤『A Quiet Storm』が編まれた。“静なる嵐(=Quiet Storm)”といえば、1976年のスモーキー・ロビンソンのアルバム名(曲)にして、同時期ラジオフォーマットを中心に人気となったスロウ&メロウなソウル〜クロスオーヴァーのこと。80年代中葉、この日本でもポスト・レアグルーヴとして瞬間風速的に話題となったことをいまでも憶えているひとがどれだけいるだろうか。ベスト盤では本家への再評価を飾ることばとして使用されているが、タイミングとしては周回遅れの印象を残しているのがなやましい。もっとも、これについてはようするに、現在もつづくこの世界の需要度、夕凪のように安定しているということなのだろうが。

それでも、『A Quiet Storm』に非を打ちたくなるところがないわけではない。全20曲、彼らの特異性をこれだけまとめあげながらも、肝心の「Una Bella Melodia Braziliania」は未収、本質的な欠陥といっては言いすぎだろうか。

考えられる根拠のひとつとして、オハイオのR&B系ルビー&ザ・ロマンチックスの同名曲(「Una Bella Brazilian Melody」)を見る。つまりメイン・イングレディエントの版は、1967年にルビーたちが発表したシングル(翌年『More Than Yesterday』に所収)のカヴァーだったことになるが、この事実は清濁併せ吞むブルース精神の裏づけにもなっている。サウダージの遠くに聞こえるサンバの鼓動から、北米ブラックとも共振するアフリカの血脈を読むことはむずかしくない。

作者はハーレム出身のジミー・ラドクリフ。ウィガン・カジノ(英ノーザンソウルの聖地)に出入りするオールナイターたちからも支持された曲、文字どおり「Long After Tonight Is All Over」(1965年)の歌手としても知られているが、ここで楽曲を提供していたのはバート・バカラックとハル・デヴィッド。いつものコンビが書いたいつもの名曲にはちがいないが、それをいつもとはちがった風景をスケッチするように歌われるのは、ラドクリフの力量あってのことだろう。

さらに、「Long After Tonight Is All Over」には伊語版のシングル「Stavolta No」があることにも注目しておきたい。B面にもおなじくバカラック作「There Goes The Forgotten Man」の伊語版「A Casa Non Tornerò」がおさめられている。実力伯仲のモリコーネを生んだイタリアであることを踏まえても、彼の地におけるバカラック人気は察するにあまりある。

ここで重要になるのは、ルビーたちが「Una Bella〜」を発表したのがその2年後だったこと。つまりラドクリフは“バカラック=デヴィッド”という黄金の方程式を自分自身に置き換え、当時の相方バディ・スコット(同名ブルース歌手とは異人)と根をつめ共作したとも考えられる。

また、一見ポルトガル語のようにおもわれるこのタイトルも、じつは伊語だった。大西洋を交点に、ハーレムとイタリアをラドクリフがむすんでみせた背景について、依然なぞは少なくない。そのいっぽうで、ウィキペディアには“ダッチ”という愛称で呼ばれていたとする記述もある。ウィキからの引用がご法度の本業界とはいえ、想像力をいたずらに枯渇させてもいけない。つまり、この事実をもとに想像の翼をひろげてみれば、二十世紀大衆音楽の大半が港町から誕生したという史実が、この「Una Bella〜」にもあてはまる。

ニューオリンズのジャズ、ラ・ボカのタンゴ、カディスのフラメンコ、リスボンのファド、そしてイパネマの……。港町で港歌が生まれ、港のヨーコが「ヨコハマヨコスカ」と拍を打つことで、昭和の遺産“歌謡曲”も生まれた。そしてその輪に浜っ子(美空)ひばり、横須賀育ちの(山口)百恵を放りこみ、独自の艶歌〜歌謡曲論を構築したのが平岡正明。

景気づけに「Una Bella〜」を肴に、港の酒場で一献かたむけるとしようか。待てば海路の日和あり、かな。

若杉 実
文筆業。CD、DVD企画も手がけ200タイトル以上送り出す。RADIO-i(愛知国際放送)、Shibuya-FMなどラジオのパーソナリティも担当していた。主著『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』『裏ブルーノート』『裏口音学』、新著『ダンスの時代』発売中。

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