日本人が経営したNYのレコードショップWeekend Recordsと永友慎の物語【第1話】

WRITER
REVINYL編集部

今からおよそ20年前。一人の日本人がニューヨークはブルックリン・ウィリアムズバーグでレコードショップをオープンさせた。今でこそブルックリンで一番お洒落な地区とも言われているが、当時はジュリアーニ市長の政策によって劇的に治安が回復したとはいえ、まだ注射器が転がっていたり娼婦がいたりと、そんな時代だ。

わずか6帖のレコードショップだが、DJシャドウ、カット・ケミスト、ケニー・ドープなど、一流のDJたちが来店。みんなに愛されるも、わずか3年で閉店。月日が経った今も彼の話に音楽ファンは目を輝かせる。

その日本人の名前は永友慎さん(通称ひよこさん、MAKKOTRON。47歳、宮崎県出身)。日本に帰国し下北沢でもレコードショップをオープン。ひよこレコードからWeekend Recordになり、現在はUpstairs Records & Barを営んでいる。この連載は、彼の証言で綴った、Weekend Recordsと永友慎さんの物語である。

はじまりはガールフレンドと別れて残ったレコードを売るために

「当時付き合っていたガールフレンドがレコード屋の店長をやっていて、そこにレコードをニューヨークから送ってたんですよ。でも、喧嘩して別れちゃって。買い付け頑張りすぎて在庫5000枚くらい抱えちゃって。そのときにちょうど部屋探しもしてたんですけど、ウィリアムズバーグでいい倉庫を見つけたんですよ。住めるしお店もできるよって言われて、それじゃあって、やってみたのがきっかけです。Weekend Recordsは、5000枚売り切ったら閉めようと思ってました」

――すぐにオープンできたんですか?
「借りたはいいものの、どうやったらいいか分からないもんですね。ルームメイトのサイトウ・トシユキさんが内装仕事ができる人で、彼に手伝ってもらって作ったんです。看板付けたり、とりあえず店っぽくしたら店になるよって。イメージとしては、自分の家に友人を呼んで、持ってるレコードを売る。そんな感覚でしたね。天井が高かったから2階建てにして、1階はWeekend Recordsと僕の住居。2階はサイトウさんのギャラリーにして。彼、インスタレーションのアーティストでもあったんです。当時、アートスペースを探している人は街にいたけど、あの街でこんな形態のお店を作ったのは俺たちが最初じゃないかな。」

――ウィリアムズバーグにはレコードショップはありました?
「うちとEarwax Recordsっていうレコ屋がありました」

――なぜウィリアムズバーグを選んだんですか?
「もともとグリニッジ・ビレッジに住んでたんですけど、ブルックリンの大きいところに住もうと思ってて。ウィリアムズバーグが面白くなりそうという話をフォーク・シンガーの友部正人さんから聞いたんです。当時まだ何もなかったけど、アーティストがちょこちょこ住み始めてたし、街を歩いてると面白かったから」

――どんな街でした?
「まだ危なかったですね。道を歩いてたら注射器が落ちてたり、売春婦もいたし。夜中は、気合入れないと歩けませんよ(笑)。でもロケーションは最高でしたよ。うちのビルは川沿いにあって絵葉書で見るマンハッタンの夜景が目の前に広がって。151 Kent Aveで検索すると出てきますよ。家賃も当時は安かったし、でかいとこを借りて楽しく過ごそうってことで。今や最も人気の土地だけど、当時は物件があったんですよ。友部さん、あの当時、あそこが気になるって相当早かったなぁ〜。」


印が指しているとろこが当時Weekend Recordsがあったら場所(写真:Google)

――友部さんとはどこで知り合ったですか?
「友部さんはクラスメイトでしたね。ニューヨーク市立大学バルーク校に行ってました」

――永友さんは語学留学だったんですか?
「そうですね。もともとは映画学校に行きたかったんですけど、そのためにまずは英語が話せる必要があったので。当時まったく喋れなかったんで。それこそマクドナルトに行って“アイ・アム・コカ・コーラ”って言っちゃうような英語力でしたから。きっかけは、好条件でニューヨークに住めるチャンスがあって」

――というのは?
20代のころ関西の出版社に務めてた時期がありました。原稿をFAXの前で夜通し待ってたんです。そうしたら、その出版社を退職してニューヨークに行った女の子からFAXが一通届いて。内容は、どうしてもニューヨークを離れないといけなくなった。それで、住んでいる部屋を誰かに貸したいから、もし興味がある人がいれば、というものでした。実際にすごく安かったから、だったらぼくが行こうと思って行ったんです。1週間75ドルとかだったから月に5万円しないくらいかな。6畳くらいのワンルームにシャワー・トイレ共同。アッパー・ウエスト・サイドで、コロンビア大学のちょっと南くらいで超いい場所。近所にハリウッドスターが住んでるマンションがあるくらい。

デイヴ・トンプキンスやDJシャドウとの出会い

――オープンしてから最初に来た有名人は誰でしたか?
「覚えてないなぁ〜。でもシャドウは早かったかも。彼は本当にいい人でした。威圧感もないですし。よくカット・ケミストと一緒に来てましたよ。彼らは喋りながらレコードを掘って長い時間お店にいてくれましたね。それにシャドウは相当買ってくれましたね」

――パッと見てシャドウとカット・ケミストだって分かりますか?
「そりゃ〜分かりますよ(笑)。でも最初、アポなしで来たからすげぇービビった。あと、いきなり来た人でビビった人はテイ・トウワさん。友達に聞いて来てくれたみたいで、日本人がやってるの知らなくて“日本人がやってんだ”って開口一番驚いてました」

――お店に入るのにアポが必要だったんですか?
「外観がレコード屋だって分からないですし、インターホンさえなかったから、一見さんは、まず来ない。お客さんが公衆電話から「開けてー」って電話をかけてきて開けてたから。みんなが思っているお店と違いますよ。名前の由来は、週末だけのオープンだったから。平日は映画学校に行ってましたし。で、平日の空いている時間にレコードを掘って、その成果を土日で売る。でも今考えたら日曜日はウィークエンドじゃないですね。キリスト教でいうと日曜日は週の最初だから。あと、Weekendってバンドのレコードが好きだったというのもあります」


漫画家の北沢バンビさんが模写したWeekendの『La Varieté』のイラスト。現在のUpstairs Records & Barに飾られている。

――今、そんなお店があったら楽しそうですね。 ほかには、スピナやケニー・ドープも来たそうですね。
スピナ来たっけな…、来たかどうか怪しい(笑)。1回は来たかもしれないけど、日本のお店のころかもね。スピナがいた印象がない(笑)。ケニー・ドープは猫アレルギーだったから、ニャン太を飼ってからは来れなくなった。ニャン太って猫をお店で飼ってって。うちのトレードマークだったんですよ。あと、黒田卓也くんはWeekend Recordsが入っていたアパートに一時期住んでましたよ。黒田くんのライブは何回も見たな〜。僕のまわりの友人とバンドを組んでたから。彼とは大学の後輩だねって話から仲良くなったのかな」


当時のフライヤー。右上のイラストの慎さんが抱えているのがニャン太。これを書いたジューン・キムはのちにジェットのファースト・アルバム『Get Born』のジャケット・イラストを担当。

――しかしなぜ多くのDJがWeekend Recordsに通うことになったと思いますか?
「まずはデイヴ・トンプキンスの存在が大きいのかなと。シャドウの作品のスペシャルサンクスに真っ先に書かれるような超有名音楽ライターのデイヴと仲良くなれたことだと思います。シャドウがお店に来てくれたのもデイヴから聞いたみたい。デイヴとは、Weekend Recordsで知り合いました。当時お店で扱っていたのはヒップホップが多くて、ランダムラップと言われるマイナーなヒップホップがとくに強かったんです。ひょっとしたら専門的に扱った世界最初の店だったかもしれないです。ランダムラップという名前をつけたのはデイヴとチェアマン・マオが雑誌に書いて世界に広めた。ポール・Cのプロデュース作を集めてたことがきっかけで、デイヴと友達になったんだっけな??

第2話へ続く

永友慎

永友慎
宮崎県出身。47歳。下北沢にあるUpstairs Records & Bar店主。2000年代初頭にニューヨークはブルックリンのウィリアムズバーグでレコードショップWeekend Recordsをオープン。同店は、DJシャドウ、カット・ケミスト、ケニー・ドープなど、一流のDJたちが訪れるレコードショップとして話題になる。日本に帰国後は、下北沢でひよこレコード、Weekend Recordsを展開。現在にいたる。

取材・文:REVINYL編集部
写真:則常 智宏

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