ブロッサム・ディアリーと親しい、鈴木ミヨさんというジャズ・ピアニストに話をうかがってきました。〜BAR BOSSA店主、林伸次〜(後編)

WRITER
林伸次

BAR BOSSAは、渋谷の喧騒を離れた裏道にあり、大人のための静かなお店。ワインを中心に手料理のおつまみや季節のチーズなどを取り揃え、BGMは店名から分かる通り、ボサノヴァが流れる。店主の林伸次氏は、CakesやNoteなどで連載を持ち、フォロワー数20,000人以上の人気文筆家でもあります。過去にはインターネットでレコードを販売する「ボッサ・レコード」というサイトも運営し、レコードに関わる知識は非常に豊富。さあ、6回目となる本記事、是非ご覧ください。

ブロッサムと会ったことのある、日本人ジャズピアニスト、鈴木ミヨさん。前回は日本でプロデビューをしたところまででしたが、今回はついにアメリカで演奏家として働き始めます。そしてついにブロッサムとも。

鈴木:それで1、2年してアメリカに行ったのね。「こういうピアノバーで給料はこのくらいだから行かない?」ってマネージャーが来て提案してくれた。

日本人ビジネスマンが日本を懐かしがって行くお店。寿司があって天ぷらがあってってお店で。そこにバーがあって、日本の懐かしい曲なんかを演奏すると喜んじゃう。まあ最低賃金だけど、ひとりだしお金かかんないから十分やってけたし。

夜が楽しめた。夜に仕事が終わって、ブレックファースト・ショーっていうのがあるの。サンフランシスコにライブハウスがあって、3時に始まる。

林:それって、いろんなお店で演奏してたジャズ・ミュージシャンが集まっている、例の演奏のことですか?

鈴木:それは約束もしないでアフター・アワーでやってるジャム・セッションのことでしょ。そこは違うの。ちゃんとしたパフォーマンスなの。朝の3時に、カーメン・マクレーとかジム・ホールとか出てね。それがすごく良かった。

そこが1年でクビになってね。そのまま日本に帰るのも嫌だから、仕事を探してね。LAに私の友達の日本人の女の子が仕事が出来なくなって、「じゃあ後釜に」ってそっちに移って。

そこはチャイニーズが経営してて、シンガーはコリアンだった。お客さんはチャイニーズとかアメリカ人ね。地元の人。でもいわゆる「ジャズ」をやってお金になる訳ないでしょ。

林:そのときは何を演奏してたんですか?

鈴木:ポップス。カーペンターズとかね。

林:なるほど。もう70年代に入ってるからカーペンターズとかなんですね。

鈴木:そうそう。スタンダードジャズとかみんなが知ってるようなのね。それが終わって、「そろそろ帰ろう」と思って、日本に帰ってきてからは「ホテルの仕事全盛時代」かな。

70年代の後半から。ホテルのラウンジに必ず白いピアノが置いてあって、長いスカートでニコニコしてれば良い。

林:枯れ葉とか弾く感じですか。

鈴木:そうそうそう。それでニコニコしてれば良いの。それを35年やってた。ホテルオークラとかね。街にそういうレストランとかもあって。もうBGMね。いくらでも仕事あったから。私が上手かったんじゃなくて人がいなかったの。

そういうの弾ける人がいなかった。1人のピアニストに10個くらい仕事が来て。今なら1個の仕事に10人のピアニストでしょ。

その後はバブルですごく忙しくて。売れっ子、売れっ子。

その後、バブルがはじけてね。ホテルもそんなところにお金かけられなくなって、「ピアノなんてのけて客席つくった方が良い」なんてね。そういう時代になってきたの。

林:それでこのお店ですか?

鈴木:それでだんだんそういう仕事がなくなってきて、ここは14年前。ここは早稲田の友達がやってたんだけど、「閉める」っていうから、ここで月に3回くらい弾いてたのね。

ここ閉めるって、私好きだったのにもったいないって。周り中が反対する中、私が引き継いだの。

ブロッサムの話よね。

林:はい。

鈴木:35年前くらいね。友達にブロッサムのCDを借りて、好きになって、「これは会いに行かなきゃ」って思ったの。

ボールルームっていうライブハウスがNYにあるのね。ここで彼女は毎日、ファーストステージだけやって帰るってことがわかって、1988年に行った。ガラーンとした大きいお店で、そんなにお客さんは入ってなかったわね。

彼女の演奏を聴いて、感動した。一番びっくりしたのは、本当に音量が小さい。小さい中にものすごいニュアンスがあって。だからその音を聴き逃すまいとすると、そりゃ「シーン」とするの。静かに聴きなさいって言った訳じゃないんだけど、みんなが聴き逃すまいとして静かになっちゃうの。

ソロでしたね。彼女の歌は意味深い歌が多いのね。私なんか聴いてても意味がわかんないの。

(ここでブロッサムの歌まね。すごく似てます)

そしたらアメリカ人がみんな笑うのよ。私わかんなくて悔しくて。それでね、今日(のインタビュー)に間に合うように、コーラ・ワタナベっていうアメリカ生まれの人に訳してもらったんだけど、『ブルース』って曲あるでしょ。これは「女装した男性を皮肉った歌」なんだって。ね。これ、わかんないもん。これやっと訳してもらってわかったの。

そしてデイヴ・フリッシュバーグっていうシンガーソングライターがいて、『ピール・ミー・ア・グレイプ』なんかを作ってて、ブロッサムはこの彼の作る曲や歌詞が意味深ですごく好きでよく歌っている。

それでその1988年の時にライブの後で紹介してもらって、「感激した」って伝えたら、「OK」って言うの(しばらくブロッサムの物まね)。

そしたらその後、友達と会うって言ったかな、「一緒に来る?」って言ってくれて、グリニッヂ・ヴィレッジだったかな。それがちゃんと路線バスに乗っていくの。タクシーなんかで行かないの。コーヒーショップに入って、私の知らない友達がいて、音楽の話なんてしないで、ずっと四方山話なんかをしていて、私はずっとこうして聞いていただけ。

印象は音楽に本当にピュアな人で、お客さんに受けるようにしようとか、そういうのは考えない人ね。そういう場所でしか演奏したくないって感じ。

その次に行った1996年に「ブロッサム、日本に来て演奏してくれないか」って言ったら、「イエス(物まね)」って言ってくれたんだけど、交渉したら、「アメリカのミュージシャンのベースとドラムも連れて行きたい」って言って、だってそれ費用がぜんぜん違うでしょ。3倍かかるから。

それで「日本にも上手いミュージシャンいるからその人達じゃダメですか?」って聞いたら、「ノー(物まね)」って言うの。

今だったらうちでやってもらって、他のお店も回ってもらってって色々と出来たんですが、そのときはそういう話は提案できなくて。

林:ちなみにその時、何を飲んでましたか?

鈴木:バーとかじゃなかったからコーヒーショップだったから、コーヒーじゃなかったかな。あのね、お酒を飲んだり騒いだりとかって感じの人じゃ全然ないの。そういうのとはほど遠い人。求道的な感じの人。

林:服装はどうでしたか?

鈴木:すごく地味でしたよ。ずっと一人暮らしだったみたいね。例えば、私が日本にライブで呼んだとするじゃない。それですごく心配してたのが「音響が悪い」とか「レジの音がする」とか「お客さんがうるさい」とかって言いそうな気むずかしそうな感じの人ね。

林:もしかしてちょっと変わってる人ですか?

鈴木:そうね。だからこそ、ああいう音楽を出来てるんだと思う。だって、ブルーノートとかに出るタイプじゃないでしょ。だからね、「ドビュッシーが好きですか?」とか「どういう音楽に影響を受けましたか?」とかそういう質問はしたかったけど出来なかった。



以上、鈴木ミヨさんに聞く、ブロッサム・ディアリーとの思い出でした。ブロッサム、いったいどんな人だったのでしょうか?

僕としてはこんな感じで「ブロッサムと会った人」に色々とお話をうかがって、「ブロッサム・ディアリー」という素敵な女性がかつて生きていたことを知りたいです。もし身近にブロッサムと親しくした方がいましたら、ご連絡下さい。

BAR BOSSA

BAR BOSSA
東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル 1F
TEL. 03-5458-4185
営業時間 / 月~土 18:00~24:00
定休日 / 日、祝

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