アントニオ・カルロス・ジョビンについて 〜BAR BOSSA店主、林伸次〜

WRITER
林伸次

BAR BOSSAは、渋谷の喧騒を離れた裏道にあり、大人のための静かなお店。ワインを中心に手料理のおつまみや季節のチーズなどを取り揃え、BGMは店名から分かる通り、ボサノヴァが流れる。店主の林伸次氏は、CakesやNoteなどで連載を持ち、フォロワー数20,000人以上の人気文筆家でもあります。過去にはインターネットでレコードを販売する「ボッサ・レコード」というサイトも運営し、レコードに関わる知識は非常に豊富。さあ、3回目となる本記事、是非ご覧ください。

ジョビンの年表を自分の人生と照らし合わす

どうして自分は今、こんな時期に、日本という極東の細長い列島で生まれたんだろう。アジア人種で、日本語という世界では変わっている言語を話し、考え、でも、なぜか欧米人のファッションで、欧米の音楽を聴いているんだろうって考えたことってありませんか?

僕はよくあります。なぜ僕はもっと後でもなく先でもなく、今で、そしてどうして日本人なのに欧米の音楽を聴いたり、欧米の音楽を元にした日本の音楽を聴いてるんだろうってよく考えます。

「一番好きなアーティストは?」って質問されたら「アントニオ・カルロス・ジョビン」って答えることに決めているのですが、たぶんジョビンもしょっちゅう、「どうして自分はこんな時代にブラジルで生まれて、こんな音楽をやっているんだろう?」って自問自答していたと思うんです。

それでは前回のブロッサム同様、ジョビンの年表を自分の人生と照らし合わせてみます。

ジョビンは1927年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで生まれています。当時の日本同様、そんなに豊かな国ではありません。

1941年、14歳の時に、ドイツから戦争で逃げてきたコール・ロイターという現代音楽家からピアノを習います。1941年、あの時代に、ジョビンは14歳でそんな教育を受けるということは、ジョビンの実家は豊かな暮らしをしていたのでしょう。

青年になったジョビンは大学の建築科で学んでいましたが、中退後、結婚して親から独立します。ジョビンは安定した建築の仕事ではなく、夜の酒場のピアノ弾きの仕事を選びました。1949年、22歳の時です。

あなたは22歳の時、どんな人生を歩み始めていましたか? 僕はロンドンに行って、全然うまく行かず、戻ってきていくつかバイトを掛け持ちしていた頃です。とても不安定な時期でした。

ジョビン、やがてレコード会社で譜面の書けない作曲家の代わりに楽譜を書く仕事を始めます。ブラジルにはサンバやショーロといった伝統音楽があり、その作曲家たちは音楽教育を受けていないので、代わりに書いたというわけです。しかしそのとき、ジョビンはそんなブラジルの音楽家たちから色んな音楽を吸収します。そして、世界的に成功した後にも彼らへの愛や尊敬をよく口にしました。ジョビンのジョビンらしい美しい一面です。

そして1954年、27歳の時に、ジョビンはビリーブランコとの共作アルバム『リオ・デ・ジャネイロ交響曲』を発表します。僕も実は27歳の時にbar bossaを始めたので、ジョビンの気持ち、わかります。

そして詩人で外交官のヴィニシウス・ジ・モライスと出会い、映画『黒いオルフェ』の元になる、ミュージカル『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』を作曲します。1956年、ジョビンは29歳です。

そしてジョビンは、ジョアン・ジルベルトと出会い、1958年に「ボサノヴァ」を誕生させます。

このボサノヴァはブラジルで大ヒットし、そしてアメリカにも飛び火します。アメリカで一番最初にこのボサノヴァに目を付けたのはジャズ・ミュージシャンでした。

1962年にジョビンやジョアン、そして若きセルジオ・メンデス達はアメリカ、NYのカーネギー・ホールで「ボサノヴァ・コンサート」を行います。客席にはマイルス・デイヴィスやジェリー・マリガンなんかも来ています。ジョビン、このとき、35歳です。アメリカのデビューが35歳です。どうですか? 若いなあと思いますか。それともおじさんだなあと感じますか。人によって色々と感じ方が違いそうですね。ちなみに僕に関してはお店が忙しくてとても充実していた時期です。

そして1963年、ジョビンはアメリカのデビュー盤であり、初めての自作自演で、自身のアルバムである『The Composer Of Desafinado Plays』をヴァーヴから発表します。このアルバムは大ヒットしました。ジョビン、36歳です。



その後、順調にアメリカでの音楽活動を続け、1967年がやってきます。憧れのフランク・シナトラとの共演アルバムと『WAVE』の発表です。当時、シナトラと共演アルバムを作るということは、アメリカのポピュラー音楽界で最大の勲章でしたし、『WAVE』は後の音楽のあり方を変えてしまうくらいの衝撃的なアルバムでした。ジョビン、このとき40歳です。僕、実は40歳辺りから、リーマンショックや流行に遅れ始めて、お店が多少傾き始めた頃でして、ジョビンがうらやましい限りです。



ジョビンはこのボサノヴァCTI路線をずっと続けていくかに見えて、1976年、新たな境地の『ウルブー』というアルバムを発表します。このアルバムで、ジョビンはボサノヴァとかブラジルとかジャズとかクラシックといったジャンルをこえた「ジョビンだけの音楽」という音楽を作り上げます。ジョビン、このとき、49歳です。僕、今、同い年でして、ジョビンの偉大さが身にしみます。

その後、今までのベスト曲を再演奏する集大成的な2枚組アルバムを1980年に発表しました。このとき、ジョビンは53歳でして、もうジョビン、普通だったら、活動は少しづつ減っていくはずですよね。そういうアーティストが一番多いです。

でもジョビン、「年をとって、イパネマの娘を演奏してツアーする人生だけはイヤだ」という言葉を残していまして、1987年に自分の家族や親しい友人達と作ったバンドで録音した『パッサリン』というアルバムを発表します。80年代という時代の雰囲気をとらえつつ、ジョビン独自のブラジル音楽を展開していて、今聴いても瑞々しいアルバムで、ジョビン、60歳です。



さらに、1994年、スティングとの共演曲も収録された、新しい世界のアルバム『アントニオ・ブラジレイロ』を録音して、そしてジョビンはこの世から去ります。享年67歳でした。まだまだ新しい曲は作れたはずだし、新しいスタイルも試したかったはずでしょう。



僕もジョビンのように生きられたら良いのですが、あなたの人生はどうですか?

BAR BOSSA

BAR BOSSA
東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル 1F
TEL. 03-5458-4185
営業時間 / 月~土 18:00~24:00
定休日 / 日、祝

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